6部で輝きを失った 24/7/18
5部までは楽しんでました。6部、特に新ブラホワに全く乗れなくて推すのをやめようと決意したんですが、なにがそこまで受け入れられなかったのかずっと考えてました。 アイナナのアイドルたちは最年長の千でも26歳。まだまだ若者です。そんな若者達が、良き大人に導かれつつ、悪い大人を知恵と勇気と才気で打ち負かす、という、分かりやすいカタルシスが5部までのアイナナにはありました。 ファンに「アイナナ名物メンヘラおじさん」、と言われるような、欲望、しがらみ、妄執に囚われしおっさん達に、アイドルは時に傷つけられ振り回されながらも、立ち向かい、勝利し、最終的には救ってきた。 けれど、6部でアイドルたちが立ち向かう「新ブラホワ」を掲げたのが、プレイヤーキャラであるマネージャーの父でもある小鳥遊社長だったのが間違いだったのではないかと思います。 メタ的にはツッコミどころはありますが小鳥遊社長は基本的に「良い大人。非の打ち所のない善人」として描かれています。なので、そんな彼が掲げる新ブラホワも非の打ち所がないもの、としてアイドル達はなんの疑問もなく受け入れ従います。 実際は、新ブラホワは問題だらけです。1組4曲のミニライブになることで出場者が前年の半分以下になる、すでに売れ線のアーティストしか出れない(例えば、1部のころのIDOLiSH7なら確実に出場できません)、ライブグッズのクオリティ、ファンの盛り上がりや舞台装置も審査対象になる事で事務所の資金力で差が出るなど。その他にも、チケットが取れず落胆するようなファンなど、たくさん居るはずの否定意見が全て削ぎおとされてます。5部までのアイナナなら、16人のアイドルも含め、色んな立場の人がいろんな意見を出してたのに。 それまで事務所の社長だろうとテレビ局のお偉いさんだろうとヤクザだろうと王族だろうと果敢に立ち向かってきていたアイドル達は、突然牙を抜かれて、大人しく新ブラホワを待ち侘び、ワクワクツリーの飾り付けをする幼い子供のようになり、「良い大人」の手のひらの上で転がされて勝ったり負けたり泣いたりしました。 これまでヤクザとも王族とも対等に喧嘩する血気盛んなアイドルにハラハラドキドキさせられてたのに、突然こんなお遊戯みたいなもの見せられても、なんのカタルシスも得られない。 アイナナは、アニメ、楽曲、各種コラボ、総合的にクオリティが高いのですが、やはり売りはメインストーリーであったと思います。(ガチャの厳しさとアプリの古さは色んな人が言ってるので割愛) 新ブラホワに何の疑問も抱かず抵抗しないことで、アイナナのアイドルは、悪いことは悪い、おかしいことはおかしい、と主張することも出来ず、大人の言うことに従うだけの意思のないお人形になってしまった。 「良い大人」でも間違うことがあること、それを指摘して修正する胆力があれば、6部でもアイドルたちは輝いていたでしょう。でも、良い大人には従わざるを得ない、とばかりに思考停止した彼らのセリフやステージに感動することは、少なくとも私にはできませんでした。 6部をフィナーレとしたことで、このコンテンツは、これまでのアイドル達の闘いの意義と、輝きを失わせてしまった。 なので、私のアイナナは5部で終わりです。5部はかつてアイナナ世界で一世を風靡した伝説のアイドル、ゼロのヒストリーを描いたミュージカル「ゼロ」を九条天が演じることで、ゼロを忘れられないファン、誰よりもゼロへの妄執に取り憑かれていた九条鷹匡を呪縛から解放する、美しいエンディングでした。 ゼロ失踪の謎は未だ解けていませんが、5部まで気高く闘っていたアイドル達が、ただのお人形になるくらいなら謎は謎のままで良い。ゼロという過去の亡霊から世界は解き放たれた。今を生きる、自分の意思で戦うアイドルたちが新しい伝説を作る。それで良い。 さようならアイドリッシュセブン。