開発者に『人生を記録するために安定稼動するインフラ』を作ってるという自覚がない 24/8/31
結局のところ、部屋の中でPCや据え置き機で遊ぶ『信長の野望』と、位置ゲームとしての『信長の野望』に求められるものは全く異なると言うことを開発者が理解していないの一言に尽きる。
シンプルに言えば、PCゲームに求められるものはエンターテイメントであるが、位置ゲームに求められるものはインフラである。
それは、『自分の行った場所が安定、確実、半自動、低負荷で記録され、ライフログとして読み返した時に、自分の来し方の蓄積が味わえる』ということ。
開発者が以前雑誌のインタビューで『合戦が信長の野望の魅力』と言っていたが、それは室内のPCゲームなら魅力になるが、半自動で簡便をが求められる位置ゲームでは『わざわざ合戦しないと、自分の活動が記録として残せない』というデメリットになる。
このことを、開発者側が分かっていない。
そのため、一事が万事、判断を間違えている。例えば、声優を起用したボイスなども、室内ゲームのエンタメ要素としては魅力になるが、位置ゲームでは無駄に重くする、あるいは処理を重くして落ちたり、本体が熱くなったり、バッテリーがガンガン減る要素にしかならない。これらは、すべて位置ゲームとしては負の要素である。開発予算の使い所が違う。
しかし、開発当初のインタビュー、そして、一周年のインタビューでも、共通して『合戦で領土を広げるのが信長の野望の醍醐味』『拠点の合戦がゲームの主軸』と話していることから、この方針は変わらないだろう。
繰り返しになるが『合戦』が魅力になるのは室内ゲーム機で遊ぶから、そこでは派手な演出や合戦操作という手間自体が魅力になるが、野外で行動履歴半自動確実安定軽量に記録することが求められる、ライフログの位置ゲームでは、合戦は魅力にならないどころか、不要要素だということ。
室内のゲームに求められる要素と、位置ゲームに求められる要素の勘違いを開発者が続ける限り、ユーザーの声は届かないと思った方がいい。
開発者は、『エンターテイメント』を作っている意識は高いが、自分たちが『人生を記録するために安定稼動するインフラ』を作ってるという自覚は、ない。